今朝の情報番組で、2009年度就職戦線の特集があった。
今と昔じゃずいぶん価値観が違うんだな~と思いながらなにげに見ていたが
おどろいたというかちょっと気味が悪くなったというか・・・。
なんでも内定者間(だけじゃないかもしらない)の一体感を出すために、
あらかじめ「ライフライン」という自分史を作成し、皆のまえで発表するという方法で研修をしている会社があった。
で、今自分がなぜここ(この会社)にいて、どう思っているのかをみんなで分かち合うらしい。
どうして、「自分はこうこうこういう人です!」と自らアナウンスする必要があるのだろう?
確かに経歴とかの自己紹介は必要だと思うし、なにも情報がなければ仲良くもなれない。
でも番組のなかでは「子供の頃に両親が離婚してその時とても辛くて本当に死のうと思いました」
みたいなかなり個人的なことまでを発表していた。
それってどうよ。
自分のことは自分がイチバンよくわかっている、というコトバを私はあまり信じません。
いくら自分で「私はこういう人間だ」と思っても、いつも自分の周りにいる人(のほとんど全員)が
「君はこういうひとだよね」と言ったら、その評価は尊重すべきだとおもう。
たとえそれが望んでいたものとは違ってもだ。
前の職場で、いつも似たような傾向のミスを起こす子がいた。
客観的にその子の行動とか、思考経路を考えてみると、こういう原因だとおもう、
といった上司(我々先輩も含め)のコトバをその子はまったく受け入れようとしなかった。
「ちがいます、私はそういうつもりじゃありません」
「私はそういう人間じゃありません」
何の疑問ももたずにそう言いきれる彼女もある意味たいしたもんだ、と思うけど(笑)
その時は仕事だったし、ずいぶんと長い間皆でアタマを抱えて真剣に考えたが、
その子の行動パターンはほとんど変化することはなく、今も相変わらずケアレスミスをおこしているらしいと聞く^^;
つまりはその子はそういう子だ、ということです。
3年で新入社員の30%が辞めてしまう現実では、
企業と個人のマッチングがとても大事なんです、とのこと。
確かに。あらかじめできるだけ軋轢を避けることでお互いのストレスがへるもんね。
だけど、「自分はこういうヒト」と自分で枠を決めることで息苦しくならないのか。
あまりにもふり幅というか余裕がなくなるのはかえって辛いと私は思う。
「わたしってこういうヒト。情報開示しました。だからこういうヒトだと思って理解してよねヨロシク」
って押し付けっぽく聞こえるのは、私がひねくれているからでしょうか。
ヒトの個性やキャラって、その時々、状況、経験によっても違うし変化していく。
他人に知られたくない自分、隠しておきたいクロい部分てないですか。
私はあります(キッパリ)。腹のなかはマックロ、なときだってあります。
○○さん(ワタシ)てさ~こうだよね~、って思ってもみないようなことを言われて
心底びっくりしたり、逆にまたちょっとうれしかったり
年下の上司(笑)とケンケンガクガクやりあってる最中に
「あなたはこういうヒトよねっ!」って言われて激しく傷ついたり
いろんなヒトと関わって、あらためて違った自分を発見することだってある。
なんだこんちくしょーばっかやろーと上司をののしりつつ、成長することだってある。
過剰な精神的ストレスは心の病を生むので、気をつけなければならないというのは理解するが、
あまりにしょっぱなから、軋轢のタネを除去しすぎるのも、いかがなものでしょうかねえ。
成長する機会を奪っている、という側面もあるのではないでしょうか。